大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(ワ)7744号 判決 1973年1月30日

原告 小菅ミツ子 外二名

被告 小山憲三 外一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

(一)  被告らは、各自、原告小菅ミツ子に対し金五、七八三、一七二円、原告小菅敏信および原告小菅武光に対し、各金五、二八三、一七二円ならびにこれらに対する昭和四三年七月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに第一項につき仮執行宣言。

二  被告ら

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  当事者

1 原告小菅ミツ子は訴外亡小菅保信の妻、原告小菅敏信および原告小菅武光はその子である。

2 被告小山憲三は、小山病院を開設している医師であり、被告園崎秀吉は、被告小山に雇傭され、同病院の整形外科を担当している医師である。

(二)  本件事故

保信は、昭和四三年六月初旬から腰痛のため小山病院に通院し、同月二六日からは同病院に入院して被告園崎の治療を受けていたが、同年七月二四日午後五時三〇分頃、同被告から造影剤マイオジール注入による脊髄造影術(ミエログラフイー、以下本件造影術ともいう。)を受けたところ、間もなく右造影剤のシヨツクにより脳障害をきたし、さらに肺炎を起し、同月二九日午後零時三五分死亡した(以下本件事故という)。

(三)  被告園崎の過失

本件事故は、被告園崎の次の過失により発生した。

1 保信は、被告園崎により腰椎椎間板ヘルニアと診断され、昭和四三年六月二六日、右治療のため前記病院に入院し、約一ケ月にわたる治療を受けた結果、本件造影術を行つた頃には間もなく退院できる程度に回復していた。

本件造影術は、椎間板ヘルニアの症例の場合、そのすべてについて行うべきものではなく、他の病名と鑑別する必要のある症状、例えば、脊髄腫瘍の疑いのあるもの等にのみ限定して行うべきものであり、また、本来、本件造影術は、補助的な診断方法であつて、腰椎椎間板ヘルニアについてはあくまで臨床を主として診断すべきであるし、その治療行為にしても、主として保存(整復)的療法を行うべきで、観血(除去)的療法は保存的療法が効果のない場合等に限定すべきものである。

したがつて、前記のとおり、被告園崎は、保信の病名をすでに腰椎椎間板ヘルニアと診断し、かつ、その病状は回復していたのであるから、本件造影術は不必要であつた。

2 本件造影術は、患者によつてはシヨツク症状を起すこともあるから、医師としては、造影剤を患者に注入する前に、患者が右造影剤に対しアレルギー体質であるか否か、またはシヨツク症状を起すか否かを、例えば、造影剤を患者の腕に数滴たらし、五分位経過した後皮膚反応が生じるかどうかを調べる皮内テスト等の方法により検査し、造影剤によるシヨツクの事故を未然に防止すべき義務がある。

しかるに、被告園崎は、右のテストをしなかつた。

3 また、本件造影術は、危険で複雑な操作を要するため、数名の補助者をつけて慎重に行うべきである。

しかるに、被告園崎は、本件造影術を単独で行い、かつ穿刺針を刺入するにあたり、局所麻酔しなかつたため、保信が痛がり第一回目の刺入は失敗に終つた。そこで、保信をレントゲン台上に側臥位とし、腰椎部をマーゾニン液で消毒し、ブロカインで第四、第五突起間皮膚および皮下を局所麻酔をしたうえ、第二回目にようやく造影剤を注入することができた。このように、被告園崎は、単独で、しかも極めて不手際な方法で本件造影術を行つたため、造影剤が保信の脳にもれ、脳障害を起したものである。

(四)  損害

1 財産的損害

保信は、本件事故当時、本多通信工業株式会社に勤務し、一ケ月平均金七八、三六九円の収入を得ていた。同人は当時四四才であつたから、以後少くとも二七・四九年間は稼働可能である。この間の生活費を収入の三割とみてこれを控除すると、同人は以後二七・四九年間毎月金五四、八五八円の得べかりし利益を失つたことになり、これを死亡時に一時に受けるものとして月別ホフマン式計算法により中間利息を控除すると、金一一、三四九、五一六円となる。

原告らは、右損害賠償請求権を、その相続分に応じて各三分の一すなわち各金三、七八三、一七二円宛相続した。

2 精神的損害

(1)  保信の慰藉料

同人が本件事故により被つた精神的苦痛を慰藉すべき額は、金三、〇〇〇、〇〇〇円に相当する。

原告らは右慰藉料請求権を各三分の一、すなわち各金一、〇〇〇、〇〇〇円宛相続した。

(2)  原告らの慰藉料

原告ミツ子が本件事故により被つた精神的苦痛を慰藉すべき額は金一、〇〇〇、〇〇〇円に相当し、原告敏信および同武光のそれは各金五〇〇、〇〇〇円に相当する。

(五)  まとめ

よつて、被告園崎に対しては民法七〇九条に基づき、被告小山に対しては同法七一五条一項に基づき、それぞれ、原告ミツ子は、金五、七八三、一七二円、原告敏信および同武光は各金五、二八三、一七二円並びにこれらに対する不法行為の日の後である昭和四三年七月三〇日から支払済み迄民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)の1の事実は知らないが、同(一)の2の事実は認める。

(二)1  同(二)の事実中、保信の死因である肺炎が本件造影術に起因することは否認し、その余の事実は認める。

一般に、神経系の障害により肺炎を起すのは、呼吸筋の麻痺などで肺内分泌物が充分排除できないことによることが考えられるが、本件においては、この麻痺は全くなく、唯一の精神神経症状は逆行性健忘症であり、その他には脳圧亢進症状などもなかつた。

2  最近、頭蓋内血腫や脳卒中後の亢麻痺などで原因は不明であるが、肺水腫を来すことがあるといわれているが、これらはいずれも脳に何らかの器質的変化のある場合であつて、本件事故はこれにはあてはまらない。

また、脳の症状は進行していたのではなく、逆に、段々と軽減していたのに、肺炎は、造影剤注入後四日目頃から突然起つたのであるから、この点からも脳障害が原因で肺炎が惹起されたのではないといえる。

(三)1  同(三)の1の事実中、被告園崎が、通院当初から保信の病名を腰椎椎間板ヘルニアと診断したことは認めるが、その余の事実は否認する。

腰椎椎間板ヘルニアは、椎体間にある椎間板が後方に脱出し、そこにある脊髄神経の神経根部等を圧迫することにより坐骨神経痛や強度の腰痛等を起す疾患である。典型的な症状例では臨床症状から容易に診断することが可能であるから、脊髄造影術は不要である。

本件も典型的な椎間板ヘルニアであつたから、容易に診断がついたのであるが、長期にわたる保存的療法にも拘らず、症状が軽減しなかつたため、手術が必要と考えられ、右手術を行うためには、脱出した椎間板の位置を確定しなければならないので、本件造影術が必要となつた。

すなわち、臨床症状により、脱出した椎間板の位置は或る程度推察はできるが、腰椎椎間板は五個あり、それが、左右いずれに偏して脱出しているか、中央部に脱出しているか、同時に二ケ所以上脱出していないか等により手術の方法が異つてくる。しかも、臨床症状の診断のみでこれを決定することは確実性がないので、現在の医学の大勢は脊髄造影術による診断を必要と考えている。

本件においても、被告園崎は、当初、原則的療法である保存療法を採り、保信に対し、比較的安静を保つように指示し、薬物による通院治療を行つていた。しかし、腰椎椎間板ヘルニアに最も著明であるラセーグ症状(患者を背臥位とし、膝関節を伸展位に保つて股関節を前に曲げていくと、正常人ならば直角位迄楽に曲るのに、腰椎椎間板ヘルニアなど脊髄神経根部に刺激のある人は、下肢後面(坐骨神経に沿つて)に痛みがあり、下肢を挙上できない症状)が改善せず、自覚症状(腰痛)も強いので、保存的療法を行うために入院させた。ところが、入院後も自覚症状が残存し、ラセーグ症状も強陽性であつたので、被告園崎は、七月初旬には手術の必要性を考えるようになり、さらに経過を観察した結果、同月二四日に本件造影術を行つた。

一般に手術が必要な場合にあたるものとして、三週間以上の安静、保存的療法によつても症状が消失しないとき、たとえ自覚症状(痛み)がなくてもラセーグ症状が強く残つていて不変のとき等があげられている。したがつて、保信の前記症状のもとにおいて、被告園崎が手術の必要を考え、本件造影術を行つたことは誤りではない。

2  同(三)の2の事実中、被告園崎が原告ら主張のテストをしなかつたことは認めるが、その余の主張は争う。

マイオジールの過敏性のテストは一般には行われていない。その理由は、副作用予見の適当な方法がないことおよび副作用が少なくほとんどその必要がないためである。原告ら主張の皮膚反応を調べる皮内テストは医学的には全く認められていない。

3  同(三)の3の事実は否認する。

被告園崎は、七月二四日午後五時三〇分頃、レントゲン台上に保信を側臥位とし、腰椎部をマーゾニン液で消毒し、ブロカインで第四、第五突起間皮膚および皮下を局所麻酔し、穿刺針(木村式穿刺針で、最も単純なもの)を刺入、三回目位に脊髄腔に達した。そして、マンドリンを抜くと髄液が流出した。そこで、マイオジール2~3ミリリツトルを静かに注入し、穿刺針を抜去し、患者を腹臥位として、X線透視を行ないつつ台を各種に傾斜させ、造影剤の移動状況をみたところ、第四、第五腰椎間に、ヘルニアらしい陰影欠損を認めた。

右穿刺を始めてから透視してヘルニアを確認し終るまでに要した時間は約三〇分であり、その前の体位を決定したり、レントゲン機械をセツトしたり、器具をそろえたりする準備および後始末などの時間を含めると約一時間であるが、この種の施術としては短時間に順調に行われた。そして、最初に局麻剤を用いないことは、一般には決して稀でなく、局麻剤を使用すると患者の苦痛は少ないが、二度刺入することになり、刺入点が不明確となつたり、感染の機会が多くなつたりする等の欠点がある。また、非常に熟練した麻酔医でも二度刺入することは稀でなく、むしろ、一回で刺入が成功する方がかえつて、稀である。したがつて、被告園崎には施術上何らの不手際もなかつた。

(四)  同(四)の事実は知らない。

第三証拠

一  原告ら

原告らは、甲第一、二号証、第三号証の一、二、第四、五号証を提出し、鑑定人西郷恵一郎、同池田直昭の各鑑定の結果並びに、被告小山憲三および原告小菅ミツ子各本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立(乙第一号証は原本の存在も)は全部認めると述べた。

二  被告ら

被告らは、乙第一ないし第八号証を提出し、証人山沢吉平の証言、鑑定人西郷恵一郎、同池田直昭の各鑑定の結果および被告小山憲三本人尋問の結果を援用し、甲第一、第四、第五号証の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は知らないと述べた。

理由

一  本件事故の発生

保信が、昭和四三年六月初旬から、腰痛のため、被告小山の開設する小山病院に通院し、同月二六日からは同病院に入院して、同病院の整形外科担当の医師である被告園崎の治療を受けていたが、同年七月二四日午後五時三〇分頃、同被告から造影剤マイオジール注入による本件造影術を受けたところ、間もなく右造影剤のシヨツクにより脳障害を起し、その後罹患した肺炎により、同月二九日午後零時三五分死亡したことは当事者間に争いがない。

二  本件造影術と保信の死亡との間の因果関係

(一)  まず、保信の死因である肺炎と本件造影術との間の因果関係の有無につき判断するに、いずれも成立に争いのない乙第一号証、乙第八号証、原告ミツ子および被告小山各本人尋問の結果によると次の事実が認められる。

1  被告園崎は、昭和四三年七月二四日午後五時三〇分頃から、補助者を使わず、単独で、保信に対し、本件造影術を開始した。第一回の腰椎穿刺は不成功に終つたため、ブロカインで局所麻酔を施し、第二回目の穿刺で脊髄腔に達した。そこで、マイオジールを三ミリリツトル注入し、レントゲン透視をしたところ、第四、第五腰椎間の右側に陰影欠損があり、マイオジールはそこで一旦完全に停止し、その後少しづゝ落下して行く状態が観察され、その他には陰影欠損が存在しないことが確認されたので、同日午後六時三〇分頃、本件造影術終了した。

2  本件造影術施行中、保信は正常で、終了後も独りで歩行して病室に戻つたが、間もなく、その下半身から背部にかけてけいれんが発生し、臀部附近にむづ痒さを訴え、この異常感はやがて消失したが、けいれんは次第に強くなつた。その間、頭痛および破傷風に発生する牙関緊急等はなく、筋緊張、腱反射等は正常であつたので、抗痙剤を注射したところ、意識が消失した。しかし、けいれんは継続して、下肢から上肢にも生じ、保信が熟睡後も、なお、発生し、しかも、呼吸筋がけいれんしたときには、呼吸困難となり、顔面は紫色を呈するに至つたので、人工呼吸、酸素吸入、点滴を行つた。この間、発熱もあつたが、けいれんは夜半過ぎから軽快し、午前三時頃には消失した。以上のけいれん発生の間、心機能は正常で、肺機能も聴診上の所見では異常が認められなかつた。

3  二五日朝には、保信の意識はもうろうとしていたが、ほぼ回復した。しかし、右下腿に筋痛が残つていて、強直し、自動運動は不可能であり、排尿もないため導尿が行われた。

4  二六日に至り、保信の意識および触覚は正常になつたが、逆行性健忘がみられた。そして、両下肢運動に障害があり、足底を刺激すると、そけい部に痛みを訴え、さらに脊髄の前根麻痺と後根刺激症状が認められたが、自動排尿があり、呼吸機能、心機能に格別の異常は認められなかつた。

5  二七日になると、咳およびやや血性の喀啖がみられるようになつた。しかし、意識は清明(ただし、逆行性健忘はあつた。)、熱は平常で、下肢の痛みも、運動障害も共に消失したので、右の咳・喀啖に対する処置として、アスベリン、レスタミン、フスタギンが投与され、点滴およびクロマイ一グラムの筋肉注射も行われた。

6  二八日には、点滴とクロマイ一グラムの筋肉注射を続行した。翌二九日に至り、咳は消失したが、新らたにぜいめいが発生し、同日午前一〇時頃からは呼吸も速くなつて、呼吸困難に陥つたので、診察したところ、胸部にバイフエン雑音があつたため酸素吸入を行つた。しかし、脈博はやや緊張が弱くなり、午前一一時四五分頃には呼吸状態が悪化し、脈博も微弱となり、意識も消失し、呼吸は下顎呼吸となつたため、人工蘇生器を使用して、心臓マツサージを行つたが、ついに午後零時三五分死亡した。

(二)  以上の事実に証人山沢吉平の証言および被告小山本人尋問の結果を併せ考えると、保信の死因となつた肺炎は、右脳障害により惹起されたものであり、したがつて、また右脳障害発生の因をなした本件造影術に起因するものと認めるのが相当であつて、右認定を動かすべき証拠はない。

三  被告園崎の過失の有無

(一)1  原告らは、当時すでに病名も確定しており、しかも回復期にあつた保信に対し、補助的かつ限定的に行のれるべき診断方法である本件造影術を施したことは不必要な処置であつたと主張するので、まず、この点から判断する。前掲乙第一号証、乙第八号証および被告小山本人尋問の結果によれば、保信は、昭和四三年六月一〇日、腰痛を訴えて小山病院を訪れ、初診時から腰椎椎間板ヘルニヤとの診断を受けたこと、保信は同日以降通院して薬剤投与による治療を受けたが、自覚症状として強い腰痛があり、他覚所見でも明白な椎間板ヘルニヤ症状があつて、軽快の徴候がみられなかつたため、同月二六日入院したこと、入院による安静臥床により右自覚症状は軽減したが、ラセーグ症状は右側に強度陽性で、他覚的所見には変化がなかつたこと、そのため、被告園崎は、翌七月三日頃から手術の必要性を考えるようになり、その後約二週間の経過観察の結果、右期間にわたる保存的療法にもかかわらず、ラセーグ徴候に改善がみられないため、手術が必要であると判断し、右病変部位を確認するため、本件造影術を実施するに至つたことを認めることができる。

2  右認定のとおり、被告園崎は、保信が三週間以上にわたつて安静臥床の保存的療法を継続したにもかかわらず、他覚的症状に変化がみられなかつたことから手術が必要であると判断したものであり、この点の判断に何らかの過誤があることを示すに足りる証拠は認められないところ、鑑定人西郷恵一郎の鑑定の結果によれば、マイオジールを使用する脊髄造影術は、腰椎椎間板ヘルニヤの手術に際し、病変部位を診断するためごく一般に施行されているものであることが認められるから、被告園崎が、右判断に基き、保信に対し本件造影術を施術したことが、医学上不必要な処置であつたとは認めることができない。また、右造影術に使用されたマイオジールは、後記(三)認定のとおり、当時最も安全性にすぐれるとされていた薬剤であるから、この点においても、被告園崎には格別責めらるべきものは認めることができないので、いずれにしても原告らの主張は失当である。

(二)  次に、原告らは、被告園崎が、危険で複雑な操作を要する脊髄造影術を単独で、しかも極めて不手際な方法で行つた過失があり、そのため造影剤マイオジールが脳にもれて脳障害を惹起したと主張する。被告園崎が単独で本件造影術を行い、しかも、第一回目の刺入に失敗していることは前記認定のとおりであるが、鑑定人西郷の鑑定結果によれば、これらのことが直ちに過失に当るものではないことが認められる。そして、成立に争いのない乙第七号証によれば、本件造影術の実施に当り、レントゲン技師等の協力があれば、検査時間の短縮に有益であることが認められるが、前記認定のとおり、本件で被告園崎が費した約一時間程度の検査時間は、医師が自ら透視をしながら、造影剤の注入、除去を行う場合には、熟練した医師でも通常要する時間であることが認められ、他にも格別被告園崎の不手際が存したことを示すに足りる事情は認めることができず、原告ミツ子本人の供述から直ちにこの点の原告らの主張を肯認することは困難で、結局右主張も亦採用できない。

(三)  更に、原告らは、被告園崎が、本件造影術の施行に先立ち事前テストをしなかつた過失があると主張する。しかし、前掲乙第七号証およびいずれも成立に争いのない乙第二ないし第六号証によれば、本件で使用されたマイオジールは、比較的最近英国グラクソ社で開発され、脊髄、脳室およびリンパ系造影剤として、医家用に販売されている薬剤で、エチルヨード・フエニールウンデシレン酸異性体の混合物から成り、三〇パーセントのヨードを含有する安定な無色ないし微黄色の流動性液体で、比重は一・二四八ないし一・二五七、摂氏二〇度における粘稠度は三八センチ・ストークスで、脳脊髄液より重くて、これと混合しない特性を有するものであり、我国では、昭和三四・三五年頃から臨床に使用され始め、その頃実施あるいは発表された山口医大整形外科、大阪市大医学部放射線医学教室、九大医学部整形外科、国立東京第一病院におけるマイオジール使用の臨床例(ただし、九大の臨床例は後頭下穿刺による注入であり、他は腰椎穿刺による注入である。)についての報告によると、マイオジール注入による影響としては、性別、年令別および病類別には特記すべき差異はなく、一部の症例にごく一過性の発熱をみたほかほとんど発熱はなく、頭痛についても、全く発現のないもの、あるいは、起立、歩行時に軽度の頭痛があるが、安静臥床により軽快するものがほとんどを占め、従来使用されていた他の造影剤に比し副作用が少いうえに、凝集する傾向が少く、造影度も劣らないので、解剖学的構造の細部まで検視でき、しかも、低粘性で流動性に富むため、脳室、脊髄への注入および検査後の吸収除去が容易であるので、長期残留による後期障害の発生のおそれがほとんどなく、良質で安全性に富むとの結論が出されていることが認められ、鑑定人西郷の鑑定の結果によつても、マイオジールによる本件の如きシヨツクの副作用の事例については、本邦の文献には紹介がなく、海外においても、六、〇〇〇例の脊髄造影術施行例中に急性の髄膜反応を示して死亡した例が一件報告されているだけであつて、マイオジールを用いての脊髄造影術によつて本件のようなシヨツクの副作用が起きることは現在の医学上の常識とはされていず、また、これを予見するための確実な事前テストの方法はなく、これを予見するために何らかの事前テストが一般に行われているということもないことが認められるから、被告園崎が原告ら主張の事前テストをしなかつたことは争いのないところではあるが、このことを捉えて、同被告の過失をいうことはできないものというべきである。もつとも、成立に争いのない甲第四号証によれば、保信の死体検案書には、腎上体皮質に発育不全があり、特異体質の疑いがあると記載されていることが認められるが、前掲証人山沢の証言および鑑定人池田直昭の鑑定の結果によれば、右疑いはあくまで疑いの域を出ないものであることが認められ、また、仮に、保信が特異体質であつたとしても、右証人山沢の証言によれば、これを発見する方法は、患者の問診以外にはないことが認められ、しかも、原告ミツ子本人尋問の結果によれば、保信には、その既往において特異体質を疑わしめるような特別の事情はなかつたことが認められるから、これを予知しえたとは限らないというべきであつて、いずれにしても、このことは右認定に消長を及ぼすものではない。

四  結び

以上の次第であるから、被告園崎の過失を前提とする原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中永司 落合威 栗栖康年)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例